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宇都宮地方裁判所 昭和54年(わ)389号 判決 1981年4月30日

主文

被告人を懲役一五年に処する。

未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入する。

理由

(被告人の経歴および犯行に至る経緯)

被告人は、名古屋市でA、B子の長男として出生し、岐阜県大垣市の中学校を三年で中退し、潜水夫、スレート職人などをしていたが、昭和五二年現在の妻C子と結婚し、二児をもうけ、昭和五四年五月からは愛知県岡崎市に居住し、鳶職をしていた者であるが、同年九月一四日ころ、警察から窃盗の嫌疑をうけていることを察知して岡崎市から逃げ出し、奈良市所在の義弟D方に一家四人で寄宿し、同月二七日には堺市内に就職先が見つかったので、同市内のアパートを借り受けて一家で生活しようと考えたが、右アパートの入居費等当座の生活資金として二〇万円程必要であったために、同月二九日静岡県沼津市在住の知人から右金員を借りようと考え、自己所有の普通乗用自動車を運転して付近まで赴き、同人に電話をしたが、通じなかったことから、被告人の前妻E子の義兄であって、栃木県塩谷郡塩原町所在の株式会社Fゴルフクラブに経理課長として勤務しているG(当時三八歳)から右金員を借りようと考え、同町に向って出発したが、昭和五一年右E子と離婚後は右Gとは親せき関係が切れて全く交際をしておらず、同人から右金員を借りることは期待できない状態であり、一方、同人は、毎日同クラブの売上金等の多額の現金を同県矢板市《番地省略》所在の自宅に持ち帰っていたことから、被告人は、同人を会社の帰りに外に連れ出して金員の借用方を申し込み、同人がこれに応じない場合には、同人を脅して右売上金等を奪おうと考え、同日夜は埼玉県春日部市内で車中泊したうえ、同月三〇日午後四時前に右塩原町に到着し、午後五時前ころ、同クラブに電話をし、応待に出た事務員に対し、会社の帰りに同町所在の旅館「ニューマスヤ」で待ちうけている旨の右Gに対する伝言を頼み、同旅館付近の道路上で同日午後七時ころまで待っていたが、同人が現われなかったため、被告人は、付近で夕食を済ませたうえ、午後九時四五分ころ同人宅に赴き、同人に対し、「E子がまた薬をやって気が狂い、実家に帰るというので、「ニューマスヤ」につれてきた。E子はわけのわからないことをいって、二、三分でもよいからGさんに会いたがっている。」などと全く嘘の事実を言葉巧みに申し向けて、同人を同人方から連れ出し、塩原町の温泉街へ行く車中で、同人に対し、右E子の話は嘘であって、実は自分は刑事事件を起こして逃げている旨を打ち明けたうえ、二〇万円の借用方を頼んだが、同人は、被告人に自首を勧めるなどしてその場では被告人の申出を承諾せず、同人宅に戻るよう求めたので、被告人は、車をUターンさせて同町大字塩原一、二八〇番地一所在の箒川沿いの県営駐車場前路上まで運転してきたところ、同人は、小用をすると言って同車を停車させて車外に出て、その場から走って逃げ出そうとしたため、被告人は、まず同人を捕まえて警察に通報されることを防ぐとともに、同人を気絶させて車内に連れ込み、同人を脅して同人の妻H子に前記売上金等を持参させて奪おうと考え、右駐車場において後ろから同人に組みつき、そのみぞおちを殴り、倒れた同人に馬乗りになり殴るなどし、さらに、起きあがった同人の腹部を殴ったところ、同人が同所から約七メートル下の折からの豪雨のために増水して流れも急になっていた箒川に転落したため、被告人は、同人が死亡したものと思い、とりあえずその場から逃走しようと車に戻ったところ、同人は、箒川の川下で流れに流されながら大声で「助けてくれ。人殺し。」などと叫び始めた。

(罪となるべき事実)

被告人は、右Gの叫び声を聞き、このまま同人を放置すれば、警察に通報されて、自分が同人を殺害しようとしたとの嫌疑を受け、また前記窃盗事件の件もあるので、直ぐ警察に逮捕されるものと考え、右警察への通報を防ぎ、逮捕を免れるために同人を殺害しようと決意し、前記自動車のトランク内からポンチと称する板金に穴を開けるための千枚通しに似た工具(柄付きで、金属部分は、長さ約一〇センチメートル、根元の直径五、六ミリメートルで先端は尖っているもの)を取り出し、前記駐車場から約九〇メートル川下に架けられた福渡橋を渡り、同町大字下塩原二三六番地所在のリバーサイドホテル東側の川岸から箒川内に入り、同日午後一一時五〇分ころ、右川岸から一〇数メートル東の箒川内において、腰の付近まで水に浸りながら同所にたどりついた同人に対し、左手でその右肩を押え、右手に持った右ポンチでその上胸部、頸部、顔面などを一〇数回にわたって力一杯突き刺し、同人が、全く身動きをしなくなり、その場に崩れるよう仰向けに倒れかかるや、同人の体を押えていた左手を離して同人を川の中に水没させ、よって、そのころ、同所から下流の箒川内において、同人を溺死させて殺害したものである。

(証拠の標目)《省略》

(争点に対する判断)

一  殺害行為について

1  検察官は、本件殺害行為について、被告人は、判示の行為の他にも被害者の頭部を水中に押し込んだ旨主張し、本件犯行の目撃者である江頭道夫、鈴木保寿、山本時弘、斉藤修、伊藤陽一は、検察官の取調べに対し、又は、証人として、川の中にいた二人のうちの一人がもう一人を川の中に押し込んでいるように見えた旨供述するけれども、右目撃者らは、いずれも犯行現場から約六〇メートル離れたリバーサイドホテルの二階客室から本件犯行を目撃していたものであるところ、当時、犯行現場は、深夜であるうえかなり激しい雨が降っていたために、付近の街灯や同ホテルの照明等に照らされていたものの、薄暗く、目撃現場からは、被告人と被害者の姿は、水面上の上半身が黒い人影として認められるに過ぎず、被告人の手の姿と動きは、とくに大きな動作をするなどしない限り識別できない状態であり(なお、当裁判所の検証に際しては、被告人役を演じた警察官の手の姿と動きは、同人の位置関係によっては識別しえたけれども、右警察官は螢光塗料がぬってある上衣を着用していたこと、並びに天候の状況等から、検証時と本件犯行時とでは目撃しうる条件がかなり相違しており、本件犯行当時には右のように被告人の手の姿と動きを識別するのは困難であった)、したがって、右目撃者らは、いずれも被告人が被害者を手で水の中に押し込んだ事実を直接見たのではなく、腰の付近まで水に浸りながら相対していた二つの黒い人影のうちの一つが時々見えなくなったことから、一人がもう一人を水の中に押し込んだものと推測したものに過ぎないところ、被告人は、捜査段階から当公判廷に至るまで、第一回公判期日を除き、右事実を認めていないこと、とくに、被告人は、捜査段階においては、判示のとおり、被害者を殺害する目的で被害者を本件兇器で一〇数回にわたり刺したうえ川の中に水没させたことを卒直に自供しているのに、被害者を川の中に押し込んだ事実は否定していること、目撃現場から時々被害者の姿が見えなくなったのは、被告人が本件兇器で刺した際、被害者が水面近くまで身をかがめ、または仰向けに倒れかかったためであるとも考えられること、以上の事実を総合すると、被告人は、本件において被害者の頭部を水中に押し込んだものと認定することはできない。

2  被告人は、当公判廷において、被害者を刺した回数につき、自分は当時夢中でよく覚えていないが、判示のように一〇数回は刺していない旨弁解するけれども、後記二のとおり、被告人は、被害者を殺害する目的で本件兇器を携えて犯行現場に赴いたものであること、右両名が犯行現場で争っていた時間は約二分間であって、その間、被告人は、右1のとおり被害者を川の中に押し込むなどの行為をしたものとは認められないこと等の事実に照らすと、被告人は、捜査段階において、一貫して供述しているように、被害者を本件兇器で一〇数回刺したものと認められ、右被告人の当公判廷における弁解は信用することができない。

又、被告人は、当公判廷において、犯行現場で被害者が仰向けに倒れかかった際、自分は、被害者から故意に手を離して同人を水没させたのではなく、被害者が川の激流に流されたため、同人の体を支えることができず手を離してしまった旨弁解するけれども、後記二のとおり、被告人は被害者を殺害する目的で本件犯行に及んだものであり、又、当時箒川は折からの豪雨のために増水し、その流れも平素よりかなり早くなっていたとはいえ、被告人は、被害者と本件犯行現場に約二分間いたにもかかわらず、その間全く川下に流されていないこと、被害者が最後に判示のとおり倒れかかった際、被告人は、川の下流側に上流に向って、被害者は、上流側に下流に向って位置しており、被害者は、被告人の股間に自分の足が入る格好で仰向けに倒れかかったものであることは、被告人自身認めるところであって、その際、被告人は、とくに被害者の体を支え難い態勢にあったものではないこと、並びに、被告人は、捜査段階においては、全く右のような弁解をしていなかったことなどからすれば、被告人が捜査段階で述べているとおり、被告人は、被害者を本件兇器で突き刺した結果、同人が崩れるように倒れかかったので、これで同人を殺害できると考え、被害者から手を離して川の激流の中に水没させたものと認められ、被告人の右弁解は信用することができない。

二  殺意について

弁護人は、被告人には殺意がなかった旨主張し、被告人も、当公判廷において、自分が本件兇器を携えて犯行現場に赴いて被害者にこれを突きつけたのは、警察に通報されないように助けを求めている被害者を脅して黙らせるためであって、同人を殺害するつもりはもちろん、これで刺すつもりもなかったが、同人がかえって大声をあげたため、無我夢中で刺したものであって、その際にも殺意はなかった旨弁解するけれども、被告人は、判示のような経緯から被害者を箒川に突き落し、同人を死亡させかねない行為をしたものであって、本件犯行当時、同人を脅して被告人のいる場では一時黙らせることができたとしても、被告人が同人から離れれば、直ぐ騒がれて警察に通報されることは、十分予見できる状況であったこと、被告人は、その場から直ちに逃走することが可能であったのに、あえて一〇〇メートル以上の下流に流されている被害者を追いかけ、かなり冷たい水が腰まで浸る川の中に入ったものであること、被告人は、被告人の弁解によっても、被害者に近付いたところ、同人がかえって大声をあげたというだけの理由で、これを止めるための格段の努力を尽くすことなく、被害者を本件兇器で刺すに至ったものであること等の事実に照らすと、右被告人の弁解は不自然であって容易に信用することができず、かえって、被告人が捜査段階において一貫して述べているとおり、被告人は、被害者の口を封じて警察に逮捕されることを免れるために同人を殺害しようと考え、車のトランクから本件兇器を持ち出して本件犯行現場に赴いたものと認められ、前記一2で判示した本件犯行の態様とをあわせ考えると、本件犯行につき被告人に殺意があったことは明らかである。なお、被告人は、当公判廷において、本件取調べの際に警察官から大声でどなられたり、机を叩かれたために、とくに被害者を刺した回数や被害者殺害の目的の有無等につき自己の意に反した自供をしたかのように供述するけれども、被告人は、本件により逮捕され、翌日大田原警察署に引致された当日から右各事実を含めて本件犯行に関して詳細に自供しており、その供述内容は、その後の取調べにおいても基本的には変っておらず、又、被告人は、第一回公判期日においても右各事実を認めていること、並びに《証拠省略》に照らすと、被告人の本件犯行に関する捜査段階における自供がその意に反したものとは到底認めることはできず、被告人の右弁解は信用できない。

三  死亡の事実について

本件について、被害者の遺体は、未だ発見されるに至っていないが、判示のとおり、被告人は、流れがかなり早く、冷たい水が腰の付近まだ浸っている箒川の中で、約二分間にわたり、被害者の顔、首、胸を千枚通し様の兇器で一〇数回にわたり力一杯突き刺した結果、全く身動きをしなくなって、仰向けに倒れかかった被害者から手を離して、同人を激流の中に水没させたものであり、前掲各証拠によれば、その後、被害者から家族に連絡がないことはもちろん、箒川の流域の民家、警察、病院、旅館、交通機関等において、被害者らしい者を見かけた者はいないこと、又、本件犯行現場付近で流された遺体は、下流の塩原町所在の塩原ダム付近の川底の土砂の中に埋没する可能性のあることが認められ、以上の事実を総合すると、被害者は、判示のとおり、犯行現場下流の箒川の中で死亡し、川底の土砂の中に埋没しているものと推認される。

なお、被害者の死因については、《証拠省略》によれば、被害者は、本件兇器で突き刺されたことにより、即死する蓋然性はほとんどないものと認められるので、判示のとおり、溺死と認定した次第である。

四  補強証拠について

弁護人は、被告人の本件殺害行為及び被害者が死亡した事実については、被害者の死体が発見されていないうえ、目撃者らの証言があいまいであり、又、兇器が発見されておらず、補強証拠が不十分である旨主張するけれども、補強証拠は、被告人の自白の真実性を保障し得るものであれば足りると解される(最高裁判所昭和二四年四月三〇日判決参照)ところ、本件についてみると、《証拠省略》によれば、本件犯行当時、本件犯行現場において、助けを求めていた人のところへリバーサイドホテル側の川岸から川に入った他の人が近付き、約二分間二人がもみ合った後、一人の姿が川の中に消えて見えなくなると同時に他の一人が川の対岸に渡って行ったことが認められ、又、犯行後である一〇月三日被害者が当時所持していた洋傘の骨が、一〇月一二日右洋傘の布地がいずれも箒川の下流で発見されたことは、司法巡査、司法警察員作成の各捜査報告書により明らかであり、右各証拠等によって、被告人の本件殺害行為に関する自供の真実性は、十分に保障されており、又、被害者が死亡した事実については、前記三のとおりの理由により認定したものであって、被告人の本件殺害行為に関する自供もこれを認定した有力な証拠の一つとなっているけれども、右自供については、その真実性を保障し得る補強証拠が存在することは、右に説明したとおりであって、補強証拠の裏付けのない被告人の自供のみによって右死亡の事実を認定したものではないから、本件について補強証拠がない旨の弁護人の主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、被告人を懲役一五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させない。

(量刑の事情)

本件犯行は、窃盗犯人として手配されたため、逃亡生活を始めた被告人が、生活資金欲しさから、被害者が会社の売上金を毎日自宅に持ち帰ることに目をつけ、同人に借財方を申し込み、断わられた場合には同人から右金員を奪おうとして、深夜嘘言を弄して同人を外に誘い出し、途中逃げ出そうとした被害者が、被告人により崖下の川に転落させられ、川の中で助けを求めるや、同人の口を封じるために同人を殺害しようと決意し、被害者に対し、千枚通し様の兇器で顔・首・胸などを一〇数回にわたって突き刺してその場に倒れた同人を激流の中に水没させて殺害したというものであって、結局、本件犯行は、被告人の私利私欲のために、なんらの落度もなく、又殆ど無抵抗の被害者を、確定的殺意のもとに、兇器で滅多刺しをして殺害した残忍な犯行であって、被告人は、本件犯行後も平然と被害者方に赴き、同人の妻に嘘言を弄して金員を奪おうとしたことを併せ考えると、本件犯行は、被告人の根深い反社会的性格に起因する悪質な犯行であって、その犯情は極めて重いというべきである。

ところで、被害者は、当時三八歳の働き盛りで、職場では、経理課長としてまじめに勤務し、家庭では、妻と未だ小さい二人の子と一緒に円満な生活を営んでいたものであって、右のようになんらの落度もないのに無惨な方法で殺害され、しかも本件犯行後一年半余を経過した現在に至るも、その遺体は未だ川底に沈んだままと推認されることにかんがみると、被害者自身はもとより、一家の支柱を奪われた遺族の無念さは察するに余りあるものがあるところ、被告人からはなんらの慰謝のみちが講じられておらず、以上の事実を総合すると、被告人の刑事責任には極めて重いものがあるが、反面、被告人は、本件において、当初から被害者を殺害する計画を有していたものではなく、又、現在、本件について被告人なりに反省していることなどの被告人に有利な情状をも斟酌し、主文掲記の科刑とした次第である。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田央 裁判官千徳輝夫、裁判官卯木誠は転補の為、署名押印できない。裁判長裁判官 竹田央)

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